【世界遺産アーカイブ】古都奈良の文化財:8つの構成資産が語る「天平の理想郷」とその変遷

東大寺、興福寺、春日大社から平城宮跡まで。 点在する構成遺産を「シルクロードの終着点」という一つの文脈で繋ぎ合わせます。 各遺産の建立エピソードや、度重なる戦火と復興の出来事を時系列で整理した保存版特集です。

Basic Info

世界遺産基本情報

古都奈良の文化財
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画像提供: パブリックドメインQ

古都奈良の文化財

「古都奈良の文化財」は、8世紀の日本の首都であった平城京の面影を伝える8つの資産(東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡)で構成されています。当時の高度な木造建築技術や仏教美術、自然崇拝が息づく神道の聖域が融合しており、日本形成期の文化や政治、宗教の歴史を今に伝える貴重な遺産です。

東大寺奈良県奈良市雑司町406-1
興福寺奈良県奈良市登大路町48
春日大社奈良県奈良市春日野町160

Timeline

歴史のタイムライン

710年

平城京遷都

元明天皇が藤原京から平城京へ都を移し、日本初の本格的な国際都市が誕生した。

何と美しい平城京平城京の遷都した年の覚え方として有名です。
唐の長安をモデルとして、元明天皇によって藤原京から現在の奈良県奈良市に遷都されました。
碁盤の目状の都市計画(条坊制)が採用され、シルクロードの終着点として仏教や唐の影響を色濃く受けた、国際色豊かな天平文化が栄えました。
平城宮跡は、日本の世界遺産で初めて「考古学的遺跡」として評価された場所でもあります。

710年

興福寺の移転

藤原不比人が厩坂寺を平城京に移転。

興福寺は藤原氏の氏寺として強大な力を持ちました。
ここで注目すべきは、乾漆造(かんしつづくり)という技法です。
これは粘土の原型の上に麻布を漆で塗り固めて形を作る技法で、複雑で繊細な表現が可能でした。
その代表作が、光明皇后が亡き母のために造らせた西金堂の「八部衆像」の一尊、阿修羅像です。
三面六臂(3つの顔と6本の腕)を持ち、憂いを含んだ少年のような表情は、天平彫刻の到達点とされています。

718年

元興寺の移転

平城京遷都に伴い、飛鳥から現在地(ならまち)へ移転し、官寺として絶大な勢力を誇りました。

蘇我馬子が飛鳥の地に建立した飛鳥寺(法興寺)が元興寺のルーツです。
百済から招かれた技術者によって、瓦葺きの屋根を持つ本格的な寺院が造られました。
この時の本尊「飛鳥大仏」は、今も飛鳥の地に残っています。
都が移った際、飛鳥寺も平城京へ移転し、元興寺と名を変えました。
当時は現在の「ならまち」の大部分を占めるほどの広大な境内を持ち、東大寺興福寺と並ぶ「南都七大寺」の一つとして栄華を極めました。

718年

薬師寺の移転

薬師寺を藤原京から移転。

金堂や東西二つの塔が並ぶ「薬師寺式伽藍配置」が完成しました。
現存する東塔は、この時の建築とされ、平城宮跡を除けば、当時の姿を地上に留める極めて貴重な遺構です。
皇后の病気平癒を願って建立された薬師寺には、天平彫刻の最高峰と称される金銅仏が安置されました。
天武天皇は、皇后(のちの持統天皇)の病気が治ることを祈り、医薬の仏である薬師如来を本尊とする薬師寺の建立を発願しました。
本尊の薬師三尊像は、中央の薬師如来、向かって右の日光菩薩、左の月光菩薩からなります。
この像はもともと黄金に輝いていましたが、長い年月と火災の熱により、現在は深い光沢を放つ黒漆のような独特の色合い(黒光色)をしています。

752年

東大寺大仏開眼供養

聖武天皇の命により建立された盧舎那仏(大仏)が完成し、盛大な式典が執り行われた。

聖武天皇は、相次ぐ政変や飢饉を鎮めるため、仏教の力で国を護る鎮護国家の思想を掲げました。
その象徴が東大寺盧舎那仏(大仏)です。
建立には多大な国力が注ぎ込まれました。
現在の大仏殿は江戸時代に再建されたものですが、木造建築として世界最大級の規模を誇ります。

756年

正倉院建立

聖武天皇の遺愛品を収めるために正倉院を建立。

聖武天皇の没後、光明皇后が天皇の遺愛品を東大寺に献納したのが始まりです。
校倉造(あぜくらづくり)という、断面が三角形の木材を組み上げる建築様式で建てられました。
内部には、遣唐使によってもたらされたペルシャ(現在のイラン)インドの工芸品が多数収められており、「シルクロードの終着点」を象徴する世界的な文化遺産です。

759年

唐招提寺の創建

唐の高僧・鑑真が、日本に正しい戒律を伝えるために唐招提寺を建立した。

5度の失敗と失明を乗り越えて来日した鑑真によって、唐招提寺が建てられました。
金堂は、当時の貴族の邸宅のような優美な天平建築の傑作です。
講堂は平城宮の「東朝集殿」を移築したもので、平城宮の宮殿建築の唯一の遺構として極めて重要です。

768年

春日大社の造営

平城京を守護するため、藤原永手らによって造営された。

春日大社は、藤原氏の守護神を祀るために藤原永手らによって創建されました。
朱塗りの社殿と多くの灯籠が特徴です。
神域として守られてきた春日山原始林は、狩猟や伐採が1000年以上禁じられてきたため、都市近郊でありながら豊かな生態系が残る「文化的景観」の先駆けともいえる存在です。

1180年

南都焼討

平重衡の軍勢により東大寺や興福寺の大部分が焼失したが、後に重源上人らによって再興された。

平安時代末期、東大寺興福寺は強大な武力を持つ「僧兵」を抱えていました。
平氏打倒の機運が高まる中、南都の僧兵たちが反平氏勢力に加わったため、平清盛の命を受けた平重衡(しげひら)が軍勢を送り込みました。
この際、火を放たれたことで、平城京以来の貴重な伽藍の多くが灰燼に帰しました。
大仏の首が落ち、金堂も失われるという惨状を受け、重源(ちょうげん)という僧が再建の責任者となりました。
彼は勧進(かんじん)によって広く寄付を募り、当時の最新技術であった大仏様(だいぶつよう)という力強い建築様式を取り入れて再建を進めました。
現在、東大寺に残る南大門は、この時の重源による再建当時の姿を残す貴重な建造物です。

1998年

ユネスコ世界遺産登録

「古都奈良の文化財」として、8つの構成資産が世界遺産(文化遺産)に登録された。

Map

マップ

Heritage Locations